前回に引き続いての
「勝手に武豊列伝」武豊騎手平成の思い出レース勝手にランキングだ!
何度も言うが
管理人のめちゃくちゃ個人的なランキングなので
その部分だけご了解いただき、ノンクレームでお願いします!
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⇒馬楽園的「勝手に武豊列伝」武豊騎手の平成思い出レースを勝手にランキング~その壱~!
目次
第5位 2017年 天皇賞・秋(キタサンブラック)
ここ最近で、
「武豊騎手の神騎乗」といえばおそらく
このレースを指す方が多いのではないだろうか。
キタサンブラック、GⅠ7勝馬。
通算獲得賞金、JRA史上最多。
歴代タイの天皇賞3勝など輝かしい戦績を誇る名馬だ。
そんなキタサンブラックのラストシーズンとなった2017年の秋。
天皇賞・春を制したものの
次走のグランプリ宝塚記念では、まさかの9着敗退。
惨敗後、休み明けぶっつけでGⅠ天皇賞秋
という非常に難しい状況。
かつ、
当日の府中競馬場に襲い掛かったのは台風22号。
台風の影響でドロドロの不良馬場。
そして、
先行得意なキタサンブラックがまさかの出遅れ…。
騒然とする場内。
しかし、そんな過酷すぎる状況で唯一冷静だったのが
キタサンブラック鞍上の、武豊騎手なのである!!
JRAの公式ポスターがこれだ。
出典:JRA
そもそも
父:ブラックタイド
母父:サクラバクシンオー
という比較的な地味な血統もあり
デビュー戦では3番人気の低評価。
またダービーでは14着に惨敗しており
決して最初からエリートホースだったわけではない
キタサンブラック。
しかし、そこからコツコツと力をつけ
日本一の騎手と出会い、日本を代表する名馬に駆け上がる。
宝塚記念で9着惨敗という壁にまた阻まれながら
逆境を乗り越えての見事な勝利。
この勝利に感動したファン、
勇気づけられたファンがどれほどいたことだろう
紆余曲折を超えてたどり着いたチャンピオンホースという称号。
だからこそ、この
そして、みんなの愛馬になった
というキャッチフレーズが
サイコーにカッコいいのだ!
第4位 2013年 日本ダービー(キズナ)
その鮮やかすぎる勝ちっぷりに
府中の14万人が揺れた2013年の日本ダービー。
それまでは年間100勝超えは当たり前だった武豊騎手の成績が
2010年の落馬負傷以降、急降下―。
GⅠ勝利からも見放され
2011年⇒64勝、2012年⇒56勝という絶不調に陥っていた。
また台頭する若手騎手や、外国人騎手の活躍もあり
「ユタカももう終わったか・・・」
とさえ、囁かれていた。
そんな武豊騎手の前に現れた一頭。
それが、キズナ。
「2011年の漢字」にも選ばれたスローガンである
“絆”
誰もが待っていた武豊騎手の復活ダービー勝利の愛馬は
ノースヒルズの勝負服の黒い馬体だった。
出典:yahooスポーツ
「個人的なことですが、ここ数年は成績が落ちて、
なかなかいい結果が出なくて苦しかった。
でも、自分も負けずに一生懸命やってきたから、
キズナという素晴らしい馬と巡り合えましたし、
ずっとダービーを目標にしてきて、
こうして答えが出せて本当に良かったですね」
「今回はどうしても勝ちたかった」
武豊騎手のレース後の談話より
あまりにも劇的な勝利は
武豊騎手の執念。
そして、それに応えたキズナの末脚は
父ディープインパクトを彷彿とさせる
一世一代の豪脚だった。
第3位 1997年 弥生賞(ランニングゲイル)
時は1997年。
当時の競馬会は
「猫も杓子もサンデーサイレンス」
と言われるぐらい、サンデーサイレンス産駒が各世代を席巻しており
他にもブライアンズタイム・トニービンという輸入種牡馬が
血統の勢力図を大きく塗り替えていた。
またバブルがはじけたとはいえ
当時はまだ数年前のジャパン・マネーが動いていた時代。
海外から「外国産馬」といわれる良血馬が入り込み
ターフを駆け抜けていた。
❝サンデーサイレンスかマル外❞
そんな時代だったのである。
…当時の私は中学の卒業式を終えた
もうすぐ高校1年生というべき春。
激しい受験戦争を勝ち抜いた先に待っていた高校生活が
3年間の暗黒生活の始まりになるとはつゆ知らず…。
私が入学することになった私立高校というのが
1学年27クラスの「超」マンモス男子校。
高等部+中等部合わせて
3500人全員男という
とんでもない環境が待ち構えていたのだ。
そんな暗黒の高校生活が始まることになどつゆ知らず
前回の記事に出てきた、悪友「ゆーすけ」と
暇を持て余してダビスタをやりまくる日々を続けていたのだ。
当時の私たちは
「サンデーサイレンス?マル外?
全部クソだ!」
と尾崎豊ばりの❝権力への反抗❞を
なぜかゲームの世界で繰り広げており
「内国産種牡馬キヨヒダカの仔でGⅠ馬を生産する!」
という謎のミッションを来る日も来る日もこなしていたのだ。
そんな我々の前に現実世界で突如として現れたのが
ランニングゲイルだったのだ。
ランニングゲイルの父は80年代~90年代初頭に
「名脇役」として活躍したランニングフリー。
ハッキリ言って血統的には
おそろしく、地味!
種牡馬としても血統の地味さが嫌われてか
1年間の種付頭数が5~10頭と
いつ廃用になってもおかしくない状況が続いていた。
ところがそんな数少ない産駒の中から
一躍クラシックの主役を張るような孝行息子が出現したのだ!
そして鞍上は…
武豊騎手!!
このレースには、「世代最後の大物」と言われた
覚醒前のサイレンススズカも出走していた。
そんな良血馬を尻目に、3コーナーからの
まくり戦法で2着に3馬身差をつけての快勝!
(※ちなみに2着に来たオースミサンデーも
ロジータの子どもということで、非常に好きだったのだが…)
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⇒名牝ロジータ死す
ダビスタ96にラインナップもされていない
どマイナーな種牡馬からクラシックの主役が
現実の競馬で現れたこと
またそんなどマイナーな種牡馬の子どもに
トップジョッキー武豊騎手が乗るということに
私とゆーすけは大興奮!!
「サンデーサイレンス?マル外?
今年はランニングフリーだ!」
と至る所で吹聴しまくったのである!
結局、皐月賞6着・ダービー5着(菊花賞はけがで出走せず)
その後はOP特別1勝が目立つ程度で
最終的には地方に転入していったランニングゲイル。
しかし当時でも化石と言われそうな地味な血統から
こんな素晴らしい馬が出たことに対しての
インパクトは強烈だった。